謝苅(ジャーガル)路地裏の少年

~次号(若水)掲載予定、北谷町謝苅地区取材余話~

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はやいもので連載「沖縄の戦後を歩く」も18回目を数えます。しまたてぃプラス「+2 しまたてぃWEB版 人たてぃ地たてぃ」の<過去コンテンツ一覧>をクリックしてみてください。手前味噌で恐縮ですが、圧巻ですよ。
2年間でこれだけの通りや路地裏を歩いたのですね。各地域のご案内人のお顔を拝見すると、取材時の天候や路地の気配とともに、みなさんの地域に寄せる熱い想いが蘇ってきます。
沖縄各地の地域を愛し誇りに思うみなさんがいなければ、成り立たない企画だとつくづく思います。ありがとうございました。
そして取材・執筆の三嶋さん、デザイン・制作の下地さん、今後ともよろしくお願いします。

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Web版「沖縄の戦後を歩く」の過去コンテンツ。動画と写真とテキストが冊子との相乗効果を高めている

さて、謝苅を先週の土曜日歩いてきました。今回の参加者は「沖縄ある記」のメンバーを中心に総勢10人。名護からも数人の参加です。前回の今帰仁・仲宗根に続き、賑やかな街歩きとなりました。案内人は地元の名士、米須清太郎さん(82)。若い頃から世界を一人で漫遊した豊富な経験と、県内各地に知り合いが必ずいるという顔の広さ、ゴルフとボーリングも現役だという体力をあわせもった規格外の人物でした。炎天下、アップダウンの激しい謝苅の路地を米須さんの案内で散策しました。三嶋さんが記事をどのようにまとめるのか、今から楽しみです。詳細は次号で。

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「沖縄の戦後を歩く」の取材風景。狭い謝苅の通りを米須さんのコメントを聴きながら進む参加者のみなさん

謝苅という地名を聞くと、気になる一枚の写真があります。県立公文書館がポスターに使用した狭い坂道の路地を下る少年が誰かに声をかけられ、一瞬振り返っている写真です。トタン葺きの家並みと中央に大きなアカギ、遠方には谷間や崖の上に米軍施設らしきビルも見えます。よく見るとコンクリート製土管の横で、大きなゴム長靴を履いた少年は拳を握り半身になって何かを叫んでいます。声をかけた大人は蝶ネクタイを身につけた琉球政府の高官でしょうか。右隅に写っています。
取材を終えるとひとりでこの写真の撮影場所を探しました。木の伐採作業をしていた年配の男性に聞くとすぐに分かりました。トタン葺きの家から鉄筋コンクリート造に一部の家が建てかえられていましたが、路地とアカギはそのままです。ふいに写真と同じ年頃の少年の声が路地に響き、引き込まれるように坂を下ると、バットを持った男の子が現れました。50年の歳月が瞬間的に巻き戻され時間がとまったようでした。

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昔と変わらぬ路地で野球に興じる少年

琉球玩具から希少種のタイプ標本まで、琉球列島のユニークな大学博物館②

~琉球畳の原料「七島い」に出会う~

風樹館の「学校ビオトープ見本園」を行くと田んぼやターンム畑の先に、もう県内では栽培されることがなくなった琉球畳の畳表に使用された「七島い(シチトウイ=シチトゥイ)」が栽培されていました。琉球畳というと「縁なしの半畳で、市松模様にならべる」という認識が一般的かもしれません。最近はデザイン的にモダンな印象が評判で全国的なブームになっています。本土の専門の畳屋さんによると、たんに縁なしの畳が琉球畳ではなく、畳表に「シチトウイ」を使用しているものが本来の「琉球畳」だということです。

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▲風樹館ビオトープに栽培されているシチトウイ

シチトウイのシチトウとは七島のこと。トカラ列島、現在の鹿児島県十島村の人間が住んでいる七島(口之島、中之島、諏訪之瀬島、悪石島、平島、小宝島、宝島)から、カヤツリグサ科の植物を大分県の商人が持ち帰ったことからシチトウイと呼ばれるようになったといいます。当時、琉球にも多く自生していたことから「琉球い=サチイ」とも呼ばれていたようです。現在、国内では大分県の国東地方だけで生産されているようです。中国産のシチトウイを使用した琉球畳もあるようですが、希少で高価な国産シチトウイにこだわるユーザーもいるようです。

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▲い草の茎断面は円形だがシチトウイは三角形になっている。根本に近いほどに丸みを帯びてくる

風樹館の佐々木先生の許可を得てもらってきたシチトウイ3本を缶コーヒーのアルミの空き缶に生けて眺めています。色、艶、手触り、香りがよいと本土の人々を魅了し、強く耐久性があることから講道館の柔道用の青畳として採用されたのが「琉球畳」です。県内ではいまでもシチトウイは自生しているようですが、なぜ「琉球畳」の地元沖縄では栽培されなくなったのか……。県内でのシチトウイと「琉球畳」の現状を伺いに、風樹館に「琉球畳」のサンプルを提供した大山タタミ店の大山廣社長を訪ねました。インタビューのもようは次回にお伝えします。

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▲宜野湾市野嵩にある大山タタミ店。創業41年、従業員19人の大きな老舗タタミ店だ

琉球玩具から希少種のタイプ標本まで、琉球列島のユニークな大学博物館①

~はじめて風樹館(琉球大学資料館)を訪ねました~

以前から気になっていた風樹館をはじめて訪ねました。広い琉球大学の構内を迷いながらようやくたどり着いた建物は、意外にも中世の教会堂か音楽ホールかと思わせる赤レンガ造りの堂々とした佇まいを見せていました。設計は、那覇市民会館など琉球建築の様式を現代建築に取り入れたことで著名な建築家金城信吉氏が晩年に手がけたもの。この建物を見るだけでも価値がありそうです。

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▲風樹館の正面。外壁に赤レンガ使用され不思議な存在感がある

館内に入ると吹き抜けの高い天井のあるホールを中心に、右側が自然系の標本類、左側に琉球玩具をはじめ、復元前の首里城の瓦や藁算資料など文化に関する常設展示コーナーが設置されています。とくに琉球の希少動物・昆虫のタイプ標本や岩石・サンゴ類の標本などは、琉球大学の研究者が収集した貴重なものばかり。琉球列島各地で収集された約4万点余の標本や資料が収蔵されており、写真でしか見たことのない絶滅危惧種など、剥製と骨格標本が並んで展示されています。ヤンバルテナガコガネやキクザトサワヘビなど、「しまたてぃ」の表紙に登場した琉球の希少種の標本類に対面できて少し興奮しました。

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▲学校ビオトープ見本園。小学生の総合学習や教員の研修などに活用されている

建物の東側には「学校ビオトープ見本園」が設置されています。とんぼ池や小さな田んぼ、ターンム畑が普通の原っぱの周りに配置され、懐かしい風景が凝縮されている感じで、時間に余裕があればもっとゆっくり過ごしたい思いに駆られました。しばらく散策していると、このビオトープで思いがけない植物を見つけました。その植物についてのストーリーは次回で……。

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▲学校ビオトープ見本園ガイドブック。写真・イラストが効果的に使われ親しみやすい編集になっている

伊良部大橋工事のクライマックス、ついに主航路部がつながる

~10ヶ月ぶりの中央径間部の仮設作業を取材しました~

宮古島で工事が進む伊良部大橋の主航路部中央径間の仮設工事が4月16日に行われ、工事のクライマックスともいえる作業は行政や市民、工事関係者が見守るなか慎重に作業が進められ、ついに主航路部がつながりました。

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FC船が巨大な中央径間部箱桁をつり下げゆっくりと近づく。クレーン迫力に圧倒される

国内最大級のフローティングクレーン(FC)船「洋翔」(最大つり上げ能力4000t)が8時過ぎ下崎ふ頭を離れ、作業開始から約8時間後、中央径間部箱桁(長さ140m、幅16.1m、重さ1600t)の仮設に成功しました。中央径間部は海面から最も高い33mの部分です。

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微調整をしながら慎重に箱桁を下ろす。意外にスピーディーだった

県宮古土木事務所伊良部大橋建設現場事務所が主催した現場見学会には、約200人の市民がつめかけました。職員の説明に熱心に耳を傾けながら、真近で仮設工事の様子を見守っていました。市民の関心は高く、作業をひと目見ようと平良のトゥリバー地区や久松の沿岸部にも観光客を含め見物人が大勢集まり、「歴史的な作業」を眺めていました。

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見学会に集まった熱心な市民。職員の説明に質問も飛び出した

伊良部大橋は宮古島と伊良部島を結ぶ約3.5kmの橋梁です。中央付近の主航路部(全長420m、幅16.1m)は鋼橋で「3径間鋼床版箱桁橋」と呼ばれ、長さ140mの径間部を3基製作し現場で連結します。平成24年4月下旬に伊良部島側、同年5月中旬に宮古島側の仮設を終え、中央径間部は同年6月に作業を行う予定でしたが台風の接近で延期されていました。伊良部大橋の工事完了は2015(平成27)年1月頃の予定。

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作業開始前の中央径間部付近。伊良部島とつながる日も近い

復帰40周年記念誌が刊行されました。

~「未来を担う若者たちに伝えたい・沖縄社会基盤づくり40年」~

二年がかりで当会が取り組んできた復帰40周年記念誌「未来を担う若者たちに伝えたい・沖縄社会基盤整備40年」が完成し、本日、納品されました。(A4版、256頁、4色並製本)

☆140周年記念誌

復帰40周年の節目の年に、米軍施政権時代から復帰、そして現在に至る沖縄の社会基盤整備のあゆみが、機関や組織、事業種の枠を越えて体系的に取りまとめられています。編集方針の柱に「次代を担う若者に向けた本にしよう」を掲げ、社会基盤整備に携わった方々からの寄稿やさまざまな分野で活躍する先輩から若者たちへのメッセージにページが割かれるなどユニークな記念誌になっています。

☆2記念誌目次
記念誌目次.PDF(1MB)

当会では県内の教育機関や図書館をはじめ関係機関への配布を計画しています。
記念誌制作に関わられた多くのみなさんの努力のお陰で、どの項目からでも読みやすく、沖縄の未来を考えるうえで貴重な一冊になったと、ズシリと重たい本書を手にして感じました。ぜひ座右に置いて、気軽に活用していただければと思います。
(問い合わせは、企画課098-879-2087まで)

地震体験車で多くの市民が震度7を疑似体験

~しまたて協会那覇市消防本部ファイアーフェストに参加~

私ども沖縄しまたて協会では県民の防災意識向上を図る公益事業の一環として、県内各地で開催される防災フェア等へ地震体験車を派遣する事業を行っています。2月2日に開催された那覇市総合防災訓練に引き続き、3月10日に那覇市文化テンブス館前広場で開催された「那覇市消防本部ファイアーフェスティバル」に今年2度目となる地震体験車の派遣を行いました。

☆1地震体験車

今回派遣された車輌は最大震度7までの体験が可能で、様々な地震動をリアルに再現できる装置を搭載しています。地震の恐怖や備え、地震に対する心構えなどを総合的に体験できる特殊車両です。現在、県内には一台も導入されておらず、神奈川県から搬入しました。当日は国際通りが歩行者天国ということもあって大勢の家族連れで賑わいました。

☆2体験乗車を待つ市民

約二分間断続的に震度7がつづく東北地方太平洋沖地震を疑似体験した女性は「揺れが来ると分かっていてもしがみつくだけで精一杯でした。
揺れの激しさは見るのと実際に体験するのとでは大違い」とあまりの揺れの激しさに興奮が収まらない様子で感想を話してくれました。

☆3震度7を体験する

今年度最後の地震体験車の派遣は、3月15日に北谷町アメリカンビレッジで開催される防災訓練会場で行います。興味のある方はぜひ会場までお越しください。

第2回沖縄フロンティア戦略会議を傍聴してきました。

~“沖縄力”による成長戦略イメージ(10年後)を目指して~

沖縄総合事務局の主催する第2回沖縄フロンティア戦略会議(座長・知念榮治県産業振興公社理事長)が2月25日、那覇市内のホテルで開催されました。
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会議の目的は「国際物流拠点産業集積地域の更なる利活用や産業イノベーション地域制度の利用拡大を視野に、沖縄の地理的優位性を活かした新たな成長戦略策定及び具体的な方策を提言として取りまとめる」こと。

会議冒頭で「沖縄は政府の成長戦略の一翼を担う」と槌谷祐司沖縄総合事務局長が挨拶で述べるなど、新たな提言取りまとめに大きな期待が感じられました。
沖縄力成長戦略イメージ

「那覇港の課題と可能性」を含め6人の委員からの具体的な提言発表のほか、自由討議では「沖縄における航空機整備事業推進の提言は面白かった」「本格的なコンベンションホールを建設する必要がある」「千歳空港と比較すると那覇空港での食事やお土産品の充実度に課題を感じる」など、多くの意見が出されました。

「宿道」VOl.32にエッセイを寄稿していただいた又吉真由美氏(EN GROUP LIMITED 代表取締役)は、香港を中心にアジア各地に飲食店を展開する事業家としての立場から意見を求め「現在約30日かかる船便で、市場規模の大きい香港・マカオ向けに商品を取り寄せたら消費期限切れのこともある」と一刻も早い香港航路復活について「スピード感のイメージがあったら教えて欲しい」と質問していました。
又吉さんエッセイ
又吉さんエッセイ(1.5MB)

今後、どのような提言が取りまとめられるのか、興味深く見ていきたいと思います。

広報誌「宿道」34号発刊しました。

~「しまたてぃ」の兄貴分「宿道」もよろしく~

「宿道」34号表紙

当協会の広報誌「宿道」の最新号が本日納品されました。
「宿道」の創刊は「しまたてぃ」より古く、1993(平成5)年5月に沖縄ブロック道路広報連絡協議会の道路広報誌として発刊。以後、2008(平成20)年3月号まで15年、29号まで継続発行しました。
その後、30号からはコンセプトを受け継ぎ、当協会が発行しています。行政情報が中心の「しまたてぃ」と県民目線で社会資本整備を考える「宿道」という兄弟誌を両輪として、沖縄の社会資本整備の広報活動を展開しています。

34号では、いまアフリカで大活躍している北谷町出身の若き起業家 金城拓真氏(津梁貿易株式会社代表取締役社長)からエッセイを寄せていただきました。また、好評の「探訪・昔道を歩く」は小禄・豊見城間切境から兼城番所跡までを丹念に歩いたレポートが掲載されています。
沖縄市を取り上げた「街路樹が彩る沖縄の道」や不発弾発見・磁気探査の現場レポートも興味深い内容となっています。

「しまたてぃ」同様「宿道」もあわせてお読みいただければ幸いです。

「宿道」は県内金融機関を中心に店頭でご覧いただけます。また、当協会入り口ラックにストック展示しており、ご自由にお持ち帰りいただけます。

しまたて協会広報誌ラック

ホームページリニューアル

~普天間三叉路界隈を歩きました~

建設情報誌「しまたてぃ」のホームページが新しくなりました。
従来の紙媒体「しまたてぃ」で誌面化できなかった画像や動画など掲載します。またブログで日々の取材や編集で感じたことなどを日誌風にお伝えし、「しまたてぃ」をより身近に感じていただければ幸いです。どうぞ、お付き合いをよろしくお願いします。

さて連載中の「沖縄の戦後を歩く」シリーズ第7弾は、普天間三叉路界隈を取り上げます。

2月9日の土曜日、普天間山神宮寺の住職、金城啓雅さんのご案内で普天間の路地裏をNPO法人「沖縄ある記」のみなさんと一緒に歩いてきました。

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スタートはお膝元の神宮寺と普天間宮から。神宮寺では山田真山氏(1885-1977、彫刻家、日本画家)製作の観音菩薩像を特別に見せていただきました。なんだか自由で美しい観音様にうっとり魅せられました。

そのあと、お隣の普天間宮の洞窟の中へ。鍾乳石が天井から逆さに林立しているが水滴は垂れておらず、ジメジメした湿気のない厳かな空間でした。住職の金城さんは「子どもの頃は今のような囲いもなくここでよく遊んだものですよ」と久しぶりに来て嬉しかったようで、少年のように微笑んでいました。

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このあとも地元で育ち青春時代を過ごした金城さんとっておきの普天間界隈の案内が続きます。やはり米軍基地に囲まれている地域だけに、迷い犬のポスターも普天間はひと味違っていました。木製の窓格子のデザインもほかの地域では見かけません。路地裏を歩かなければ気づかない「街の機微」みたいなものも「沖縄の戦後を歩く」シリーズでお伝えできればと思います。

では、詳細は3月末発行の「うりずん」をお楽しみに!